2017年 08月 07日 ( 1 )

小澤俊夫講演会   韓国の少女像のこと


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8月5日は濃い一日だった。
実は小澤俊夫さんという方が小澤征爾さんのお兄さんで昔話研究の第一人者ということも何も知らずに
ただ親しい友人が企画していて是非ともとメールあったのです。
ただ単に昔話の話だったら次の日締め切りの搬入控えていてできてなかったので行かなかったかもしれないが
「昔あったこと、今考えなくてはならないこと」そのタイトルに惹かれていってみようと
友人がいろいろ声掛けしていたので参加者が少ないのかしらと思いきや京都のひとまち交流館大会場は御礼満員だった。

87歳の小澤氏の語り口はとても若々しく切れ味の良いものでした。
先の戦争は原爆投下で被害者として語られることが多いが加害者であったこと、忘れてはならないこと。
そして「空気を読む」日本人とはどういうことか、それと共謀罪が合わされると大変なことになると。

それから韓国の少女像についてなぜあの像が少女なのか・・・
慰安婦問題の像がなぜ少女だったのか私は何も知らなかった。

私は韓国の少女像がマスコミに取り上げられるたびに
私には単なる抗議のメッセージのアジビラと同じようには思えず
それが彫刻という形であることにいつも目をそむけたくなるような気持ちだった。
決して質の高い彫刻とは思えないがその少女が椅子に座った彫刻は例えばドイツの町中通りに設置されてあっても決して不自然ではなくて、実際に似た様な彫刻をドイツの町中でいくつか見たものだ。
それは彫刻としての造形的なメッセージだけで街に調和するものだった。
韓国の少女像は彫刻という形でありながらその造形物は抗議行動の証としてッ存在していた。
それでも私は彫刻家の手で作られたものが単なる抗議のシンボルとしてだけに存在することが
それが彫刻であることがなんだか受け入れがたく辛い気持ちにさせていた。

慰安婦問題の像がなぜ少女の像だったのか・・・
私は小澤氏の話で初めて理解した、
戦争中は欧米でも慰安婦というか売春は戦地では行われていたが、それは20歳以上の成人の女性だった。
戦地では軍人の横に女性が寄り添う姿を目にしたと。
が、東アジアでは14歳から慰安婦として・・認められていたと。
日本人が韓国や中国で14歳の少女を慰安婦として・・
その事実を事実として認めず、謝罪がちゃんと受け入れられてないということならば

私は少女像がどんどん建てられても仕方ないなぁ~という考えに変わった。

8月6日は被爆国として被害者としての戦争が語られる。
が、小澤氏は加害者として日本人が行ってきたことを決して忘れてはならないと。
日中戦争下に小学生だった氏は中国にいて、兵隊が行軍中、道沿の女子供たちはスパイだから皆殺しにした自慢げに―という話を「人殺し」と思っても言えずそれは治安維持法はおそろしいこと・・・と染みついたと。
大量の虐殺があったこと、加害者としての戦争について
私たちは知らなくてはならない、

今年97歳になる父は年になると戦争の時の話もボツリボツリと直接ではないが、亡くなった戦友の形見を何も持って帰ることができず、残された片方の腕だけを首からつるして中国の川を渡ったこと・・など父が昔新聞に書いた記事を読んだ・

そんな父に今はもっと戦争がどんなものであったか聞きたいと思う。が
娘として慰安婦のことを今もって聞くことができない。

でももう、本当に戦争に行った人が残っていない時代。誰が聞いて次の世代に伝えるのか
私たちの役目なのかもしれない。

真摯に語ってくださった小澤氏、そのお父様も大変反骨精神あふれる方でそのファミリーとして小澤征爾さんという優れた音楽家も生まれ育ったことが理解できた講演会だった。
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ピンぼけですが・・・




by nobukoueda | 2017-08-07 12:44 | 日々日記 | Comments(2)